宮崎駿が説く万能アニメーターの技量は、デジタルアニメ制作ソフトで得ることができます。

ブログ Text_遠山 怜欧
2023年08月01日

宮崎駿が説く万能アニメーターの技量は、デジタルアニメ制作ソフトで得ることができます。

かつてアニメ制作はセル画が主流でした。手描きの世界です。それゆえにアニメーターの技量が現れます。当然仕上げるのに時間がかかります。描写力と作画のスピード。この2つを高めてくれるのがデジタルアニメ制作ソフトなのです。これを使えば描けるのにと思うのは今だから言えること。ここでは、アニメーター達が遺してきたものについて触れてみます。

まずは、アニメを語り尽くすなら、Toon Boom本社があるモントリオールを活動拠点としていたフレデリック・バック(Frédéric Back)の作品は外せません。カナダが誇るアニメーションの巨匠バックは、アカデミー賞の短編アニメーション部門で二度もオスカーを受賞している。その一つに『CRAC!』(クラック!)という作品があります。この作品の独特な自然の描写とその手法を見て、宮崎駿はショックを受けたと言い、下記のように述べています。

Frédéric Back © Frédéric Back / Société Radio-Canada

「ぼくたちが現在やっているセル・アニメーションでは、植物を描くのが難しい。 草が風に揺れているところだけを描いては単なる記号になってしまうんです。 植物というのは、風にそよいだり、陽にキラキラしたり、 植物をとりまいている気候とか光線によって存在している。 そういうものをどうやって描いたらいいんだろうといつも思うのですが、 自分たちの表現方法では描けないというか、あきらめている。 ところが、まさに真正面から、バックはそれに挑んで、ちゃんとやっている。」(宮崎駿「出発点 1979~1996」1996年、徳間書店、p.174)

日本のアニメが通常とするところの閉じた輪郭線やムラのない色面という文法はここには存在しません。バックは、自らが自然と向き合って感じたままのセンセーションを表現することに成功しているのです。 同書で、宮崎駿はアニメーター像を下記のように捉えています。

「かつてアニメーターは万能だった。 絵を描き、物語を作り、動かし、色をぬり、カメラを操り、声や音まで自分で吹き込んで、一つの世界をつくろうとした。 いま、アニメーションは量と分業の時代にある。 世界に類のない大量生産、テレビ・アニメ番組の洪水の中で、 アニメーターはもはやアニメ生産過程の一歯車にすぎなくなった。(中略)どこか知らないところでつくられた、たいていロクでもない絵コンテをつかって、 たいていできるだけ動かさずに描きとばし、 次の工程にサッサと渡していくのが、 アニメーターの一般像ということになってしまった。」(宮崎駿「出発点 1979~1996」1996年、徳間書店、p.53)

こう嘆く根本の原因は、一人の技量レベルをとらえて万能と評しているからではないでしょうか。一人では大量には作れません。負担も相当かかります。そのソリューションとして誕生したのがデジタルアニメ制作ソフトなのですが、その恩恵を受け入れないと問題は解決しません。続けて宮崎は、このようにも話しています。 「アニメーターは、作品全体にかかわりを持つことはできないのだろうか・・・。 本来のアニメーターに少しでも近づくことはできないのだろうか・・・。」(宮崎駿「出発点 1979~1996」、1996年、徳間書店、p.54)

この文脈から読み取れることは、宮崎駿がフレデリック・バックの作品に見出しているのは、単独のアニメーターの万能さと自由度でしょう。自然をうまく描写することは、それぞれのエレメントをそれぞれ異なる手法によって描写できる自由度であり、それが成立するのは、アニメーションの制作工程すべてをアニメーター自らがこなせるという万能さが光るから。思い描いたイメージを再現できる並外れた技量があるのです。しかし現在においては、デジタルアニメ制作ソフトによって個人の作家性に委ねていた描写に近づけることは可能なのです。

さらに宮崎駿は、分業化されたアニメ制作においても、アニメーターは自分の個性や表現を世に出すことができると語ります。「日常の仕事の中で、御都合主義の話に、 ちょっぴり真実味をつけ加えたり、カラッポな人間像に、 かすかな息吹きを吹き込むことだってできる。(中略) そして、相手が油断して、スキができているのを狙いつづけるのだ。」(宮崎駿「出発点 1979~1996」1996年、徳間書店、p.53)

アニメーターの個性をいかに出すか。そして、課題は彼らがいかにスキを見つけ自分たちの表現を突き通すかということになります。逆説的ではありますが、歴史的に、分業・大量生産主義のアニメ制作の均質化された制度が生きることになりました。

大量生産主義のアニメ制作では、作画監督システムの導入で、線に統一化されたクオリティを持たせたアウトラインで囲まれた描画が一般となり、色面に関しても、セルの裏側からアニメカラーを使って着色されるため、色ムラや抑揚が限りなく抑えられます。しかし、それは人数を必要とし、指令系統が増えただけで、「にわかデジタル化」したクリンナップと着色のプロセスも昔の手法と根本的には変わっていないのです。デジタルアニメ制作ソフトを導入しても、制作体制を完全にデジタルに移行しない限り、デジタルの恩恵を享受することはできません。

予算・時間・人手不足が蔓延している制作現場にあって、描画の均質化による大量生産の安定化の狙いとその制作の統率力の弱さを逆手に取り、演出の意図をうまくはみ出したアニメーター達もいます。自らの独自の表現をTVスクリーンに表示し続けた。 70年代後半〜80年代に黎明期を迎えるエフェクト作画や極度にデフォルメされたアクション作画の領域において、あるトレンドを引き起こすことになる、金田伊功とそのフォロワーたちです。思いつくところでも、山下将仁、板野一郎、庵野秀明、大張正己など、巨匠・伝説と呼ばれる方ばかりです。

『BIRTH』(1984)、『幻魔大戦』(1983) 左)『BIRTH』(1984)、(c)ビクター音楽産業株式会社 / (右)『幻魔大戦』(1983)、(c)角川映画

その結果、彼らが発明したエフェクト作画や極端なデフォルメがアニメ表現のボキャブラリーに加わり、マニアックなアニメ・ファンたちに注目されました。ひと目でそれとわかるアクション・カットも、現在ではデジタルアニメ制作ソフトを駆使することで創り出すことができるため、世界中のアニメーターがリスベクトを込めて取り入れています。

キャラクターの描写とそれらの演技を次の工程に手渡すには、ディテールが省略化またはデフォルメされているほうが伝わりやすく、線を引く担当者や色を塗る担当者の作業がしやすくなります。そのためアニメーターの作業領域は狭まります。現代のアニメーターは、受け取ったカットを指示された通りに作業し、制作に渡し、演出や作画監督チェックをスムーズに通過することが一つの評価点となっています。

さらに遡って演出の段階で、このカットは喋りメインだから止め絵でいいとか、カメラで寄ったり多段スライドしたりと、撮影でなんとかするから、という省エネ演出の判断が下されると、そのカットを受け取るアニメーターはさらに文脈を喪失し、想像力を働かせられる部分が削ぎ落とされてしまいます。これは何を意味しているのか。まず言えることは、制作と演出そしてアニメーターの間に、複雑なコミュニケーションのネットワークが存在しているということです。

自分の前の工程からの指示は何を意味しているのか。自分の後ろの工程には、どのように手渡せば良いかなど、大量生産の現場にあって、制作デスクという接点があったとしても、アニメーターは、連続する全体像を想像力の内に捉えることが要求されています。その際、絵コンテ通りにレイアウトを切って、それに従って原画を描き、原画の線のクオリティを維持してクリンナップするなど、アニメーターたちのスタンスは従順にならざるを得ません。リテイクや修正指示が入って戻されると、時間がロスしてしまうし、次から仕事をもらえないかもしれないからです。この状態で「演出の意図をはみ出す」ことはリスク以外のなにものでもないのです。

ただし、それは紙で作業をしているからだと言えないでしょうか。デジタルアニメ制作ソフトで作業すれば、線のクオリティや演技の情感、デフォルメの強度など、カットを自分なりに解釈した視覚的表現で仕上げて、演出に提案し、仮に突き返されたとしても、すぐに修正し、再提案することができます。すぐにコミュニケーションできれば、制作にかかる負担も減らせます。

現在のアニメは常に進化しています。アニメは日本が世界に誇る一大クリエイティブ産業に成長しました。それは、先人たちの礎の上に安住の地を見出すのではなく、現在のアニメーターたちが、さらなる高みを目指しているからです。デジタルアニメ制作ソフトを使うということは、足枷ではなく、翼なのです。最後に心から納得してしまう宮崎駿の言葉を紹介して締めくくります。

「表現方法というものは、表現したいものがあって、はじめて技術がついてくるものなのです。技術だけがあって、表現したいものがない、なんてことはあり得ないんです。 もともと技術というものも、実は、何かを表現するために、だれかが開発したものなんです。」(宮崎駿「出発点 1979~1996」1996年、徳間書店、p.174)